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■Lucyみさおの逃亡日記カラコルムハイウェイ編VOL5:天山南路■ DATE:2005.08.09-10 南疆鉄道(新疆ウィグル自治区) REPORT&PHOTO:Lucyみさお |
列車は天山南路を西に向かって走る。
大きな窓にはくるくるとその表情を変える茶一色の山脈(恐らくそれは天山ではない、多分カルク山脈のそのまた手前あたり)と、果てしなく広がる礫の大地、タクラマカン砂漠が交互に現れる。 西暦630年頃、30歳になるかならないか。 玄奘三蔵は国禁を犯して国を出た。 長安から旅立った彼はトルファンからこの道を北西へ進み、クチャから北に険しい天山を越え北路をタシュケンドに、そしてサマルカンド、バーミヤン、ガンダーラ、カシミールを経由して北印度に入った。従者の大半は印度にたどり着くことなく亡くなっていた。 旅の一ヶ月前、ある場所で私はイシク・クル湖の話しを聞いた。 透明度20m。世界で二番目に深く美しく透き通った湖。 カシュガルからバスで天山を越え、ピシュケク(キルギス共和国)に向かうルートがある。恐らくこのルートなら湖に立ち寄ることができるだろう。気が向いたらそちらに進むのもいいかもしれない。そう思いつつ結局私はキルギスへの入国準備をせずに出発した。肺に持病のある私は天山を越える自信がなかった。 玄奘は天山を越えた後、この湖にたどり着いている。 礫の砂漠から吹雪と万年雪の天山を越え、多くの従者や馬を失いながら、冬でも凍らないこの透き通った湖にたどり着いたとき、彼はいったい何を思ったか。 両側の窓には天山南路の厳しくそして美しい自然が映し出される。 西日に照らされ、燃えた火のように波打つ山肌。時折雲が空を覆うとねずみ色の暗い色になり、そして、ある瞬間、雲の切れ間から陽の光が差し込み山を照らすその様は、まるで雲の上に得たいの知れない神々しい何かが存在するようなそんな錯覚を起こさせる。 −守られとったんやろうなあ。 私はコンパスを手のひらにのせ、その指し示す方向にあわせて小さな地図をくるくると回しながら窓の外に玄奘の姿を探していた。 ■玄奘三蔵■ 西遊記で有名な三蔵法師のモデルとなった偉いお坊さんです。 玄奘については生年や出家、天竺へ旅に出た年など、諸説ありますが、おおざっぱなところではだいたい600年頃の生まれで66歳くらいまで生きて、僧として、偉大な業績を残しています。 しかし調べれば調べるほど、厳しいルートを通ったものだと思います。 印度へ渡るだけなら、ビルマやベトナムあたりを経由するルートもあったと思うのですが。途中ガンダーラやバーミヤンなど"聖地"をしっかり通っているあたりは凄い。 この頃(日本では飛鳥時代)、中国から天竺に渡り戻って来られる確立は約一割程度だったといいます。旅のスタートのころ、彼は30歳くらい。非常に偉丈夫な方だったようで、情熱も体力もきっとパワー重点120%状態だったのだろうと思いますが、プラスアルファ、やはりそこに何かこう彼を守っていたものの存在を感じずにはおれません。 南疆鉄道の車窓から見える風景は、彼を守ったものの存在を実感できるようなそんな素晴らしい風景です。 ちなみに皆さんよくご存知の般若心経。 これは玄奘の翻訳です。 ■発行日不定期になります■ 毎週金曜日発行としていましたが、今週から発行日は不定期に変更させていただきたいと思います。基本は週1〜2回発行です。できたら週二回発行にできたらと思っていますが、そのへんは執筆の進行具合によってフレシキブルに変更しますので何卒ご了承下さいませ。 理由はこのままいくと、来年の逃亡までに書きあがらない可能性が出てきたためです((^^; 今までは一週間の逃亡を1年がかりで連載してきたんですが、この逃亡は二週間にわたりますので、単純に計算しても倍の連載量になります。 そんなわけで、突然の発行回数、発行日変更となりますが、何卒ご了承下さいますよう宜しくお願いします。 NO:6 まだまだ夜は始まらない |
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