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ビデオジャーナリストを目指して自分自身を試している楽しさ、遊びゴコロをもって頑張っていこう。
名前:大羽美保子
学校:京都橘女子大学 文学部 歴史学科 2000年3月卒
現在はビデオジャーナリスト目指して専門学校へ通う
生まれた年:1977年
尊敬する人:春日局、ハワードカーター、中村梧郎
将来は?:ジャーナリストであり働く母でありたい


ビデオジャーナリストって知っていますか?と尋ねると、ほとんどの人には「知らない」と答えられます。でも、フォトジャーナリストとか、フリージャーナリストという方々が活躍されているので、ビデオを使うジャーナリストと、感覚で何となく分かる見たいですね。

そもそも、ビデオジャーナリストという人達は何をしてるのか?。

ジャーナリストなんですよ、簡単にひとことで言ってしまえば。より多くの人に、常識の範囲内にあるがあまり知られていない事象を伝えたいと思って取材活動をしている人だと思います。最近では、「映像記者」という使われ方もされています。日本でビデオジャーナリストが活躍しているといわれているのが、東京メトロポリタンテレビジョン(MXTV)、アメリカで有名なのは、NY1(ニューヨークワン)というテレビ局です。

ビデオジャーナリストは1人で、カメラマン・ディレクター・照明・音声・レポーターをやってしまおうという画期的な職業です。ビデオジャーナリストに対して、現在、一般的にテレビクルーと言われる集団は、それぞれの役割を分担しています。だから、テレビ局が取材に来た!という時には、大きなカメラを担いだカメラマンの後ろに音声さん、照明さんがついていて、レポーター、いろんな指示を出すディレクターなど何人もの人が仕事をしています。きっと、皆さんも街角などでそういう光景をご覧になったことがあるでしょう。
しかし、多メディア多チャンネル時代といわれる、これからの放送業界ではそんなに多くの人が番組づくりに関われるような悠長なことを言っていられない状況が待ちうけているようです。1つの番組づくりにどれだけ制作費をかけるかによって番組のクオリティーも変わります。
例えば、1つのドキュメンタリーを作るという企画が出た時、1人で全部こなせてしまうビデオジャーナリストを取材に行かせるか、5人1組のテレビクルーにするか。同じ質の同じ内容の番組を作れるのなら、圧倒的に人件費を抑えられ、1人で仕事をしていても内容と質が良ければビデオジャーナリスト、ですね。それが、放送業界全体のデジタル化、デジタルビデオカメラの小型化、パソコンによるノンリニア編集などのハード面の急速な進歩によって、ビデオジャーナリストの出現を可能にしてしまったのです。今までは不可能に近かった、放送業界のリストラをあっさりとやってしまったと、私は感じています。簡単に私が目指しているビデオジャーナリストについて話すとこんな感じです。

私がビデオジャーナリストという言葉を初めて聞いたのは、98年の12月。私が通うマスコミ就職対策予備校が、ビデオジャーナリストの養成課程も併設している専門学校だったのです。
大学3回生の終わり頃、私はマスコミに就職したいと思い、色んな予備校のパンフを取り寄せたり、模試を受けたりしていました。しばらくして、その模試を受けた予備校から電話がありました。電話で色々と話していても埒があかないので、直接その日、私が予備校へ行って、学長と話す事になりました。
今でも良く覚えていますが、その時、私は電話で「30分後にお伺いします」と言ったのです。善は急げ?だったのかな、それがある意味、私の運命の分かれ道?だったと、良く思います。
そして、その予備校へ行くことを決め、学長と自分がどうして、マスコミで仕事がしたいかなど、色々と話しをしていた時に、突然、

 「おまえは、ビデオジャーナリストになれ!」

と言われました。
その時、まだビデオジャーナリストという職業がどんなものか分からず、え?と思いました。学長とはその時初めてきちんと話しをしたのですが、以前、模試を受けた時に一番前の席に座っていた私を彼も見ていたし、私もすごく怖い顔?で彼を見ていたので、良く覚えていたそうです。そんなこんなで、その予備校へ通い出して、就職活動もスタートしたわけなのです。

大学時代、日本古代史を専攻して、遺跡の発掘のアルバイトなどをしていた私は、考古学や歴史の記事を担当する、新聞社の学芸部記者になりたかったのです。大学に入る前は大学院へ行ってもっと勉強しようと、大学院の入学試験に必要なフランス語を知り合いの大学院生にお願いして教えて頂いていたり、一応勉強していたのですね。しかしじっとして居られない性格には、新聞記者のように色んなところへ行って取材したり、記事を書く仕事が向いているのではと思ったのです。また、大学での恩師は有名な考古学者でもあり、歴史家でもあり、そのような先生方の活躍をより多くの方々に知ってもらいたい、その記事を私が書けたら最高だな、と考えたわけです。
しかし、マスコミ各社20社以上受験して、内定ゼロ!かなり悲惨な活動でした。今度こそ、内定を決めるぞと、6月の半ばに受験した某スポーツ新聞社の局長面接に落ちてから完全にやる気を無くして、もう就職活動をするのを止めてしまいました。それは、学長のあの言葉がアタマの中にずっと残っていたから…だったのです。

それからビデオジャーナリストになるための講座を受け始めました。どんな講座があるかというと、企画書を書いたり、ロケをしに、どこかへ行って何分間分と決められた長さで対象物を撮影したり、マスコミの基礎的な情報を得たり、活躍されているビデオジャーナリストの実際の取材活動についてお話を伺う、など、色々ですね。こういう基礎的なことを終えると、テーマに沿って自分の作品を作る訓練が待っています。でも私は丁度その講座が始まる頃に大学の卒業論文提出(という、学生時代の集大成と言う一大イベント)があってお休みしていたので、まだ自分の作品というものを作ったことはありません。もうすぐ、その講座へ復活する予定です。

私がマスコミで仕事をしたいと思い始めて、実際にマスコミの現場でバイトをして色々と経験したり、仕事と呼べるかどうか分からないスチールカメラマンとしての仕事をしたりと、周りから見ると何となく1歩1歩着実?に前に進んでいるようです。まだ日本におけるビデオジャーナリストの立場も確立されているわけでもなく、人数も少ない、マイノリティーの世界です。はっきり言ってそんな世界で仕事をしていけるのか不安もあります。私のアニキ分であるテレビ局で働くディレクターに「私はビデオジャーナリストになるんだ!」と宣言したら、「ビデオジャーナリストなんて、なってもしゃーないで」と言われたこともあります。その時はさすがにグサッときました。でも現状ではビデオジャーナリストになる道も決まった道もライセンスもほとんどありません。そして、活躍の場も限られていましたが、だんだん広がってきています。 既存の放送メディアで働く方々でさえもこれからの放送業界はどうなるのか?!と慌てふためく状況です。そういう変革の時期に私がどれくらい頑張れるのかなぁ、何が出来るのかなぁと、自分自身を試している楽しさ、遊びゴコロをもって頑張っていこうとしています。

おおばみほこ

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