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メールマガジン「Lucyみさおの逃亡日記モンゴル編」について メールマガジンバックナンバー メールマガジン執筆に際しての参考書籍 Lucyみさおの逃亡日記モンゴル編 VOL 29:あの草原 最終話 DATA: DATE:2004.08.13 ウランバートル
「まあ、お茶でも」
あずさや本館でコーヒーをご馳走になりながら、チェックアウトを済ませ、オーナーとおかみさんに、パフォーマンスの首尾を報告する。私の稼ぎ「3770TG」はモンゴルの新卒キャリアの日当くらいに相当するらしい。過去4回のパフォーマンスの中で、現地物価と比較した稼ぎとしては恐らく今回がピカイチだろう。 3時半を少しまわってコーヒーを飲み終えた頃に、草原のゲルで一緒に寝た(雑魚寝した)男の子が身支度を整えてドミトリのベッドルームから出てきた。 「よう。」(私) 「うん。」(彼) たかだか一泊かそこらを一緒に雑魚寝しただけの間柄でしかないのに私たちの挨拶は10年来の悪友のようだ。 「じゃ、お世話になりました。」 二人揃ってオーナーとおかみさんに挨拶し、宿を出る。 ウランバートルの空にはまだまだ沢山星がきらめいている。 難なくエンフタイバン大通りでタクシーを拾い、私たちは互いに昨夜何を食ったか、いくらで食ったかを話しながらウランバートル国際空港に向かった。道路はすいていて、何の問題もない。空港には随分と早く到着。 6時半の出発までまだ2時間以上もある。 「ゆうべ寝たん?」 「いや、起きてた。」 「眠いよな。」 「うん眠い。」 待合室の椅子に並んで腰掛けながら、二人とも仮眠をとればいいのに旅の話しを始めると、どうにもこうにもとまらない。 彼は某ジャイアンツ家電メーカーの研究員。 普段は寮住まいでほとんどお金を使うこともない。 そのかわり、ほんのちょっとでもまとまった休みがとれると、世界中のあちこちに出かけていく。過去に訪れた国の数はそのかわいらしい顔からは想像もつかないほどだ。 旅慣れたヤツの話しは面白い。聞いていてまったく飽きない。 お互いにリンクする場所もあって、そこでまた盛り上がる。 けれど決して互いの名前を聞くことはない。 「アンタ」と「ボク」で会話は成立する。 「テレルジはどうやった?」 彼が草原のゲルの後、テレルジでゲルステイすることは聞いていた。 美しいところで、モンゴルの人々の観光地にもなっている。 私は当初、テレルジに行くか、草原に行くかで随分迷った挙句あずさやオーナーの「モンゴルらしいといえば草原かな」の一言で草原へ向かった。 「観光地だよ。」 「あはは、やっぱりな。」 「ゲルの子供も、観光客に慣れててね。まあすることもないから子供と一緒に岩登りとかして遊んだよ。」 「そうか。」 入国カードと同じ出国カードを前に二人で「いったいこれ、どないして記入するんやろうなあ」と苦笑しながら、とりあえず記入し、出国手続きを済ませて、搭乗ゲート前の免税店を冷やかす。 時折、モンゴル英語でアナウンスが流れるたびに「今の聞き取れた?」「ダメ」と、二人で笑いながら、私はモンゴルウォッカアルヒを自分のために一本買った。 そろそろ搭乗の時間も近い。 もうすぐやろな、と免税店での買い物も終えて、二人並んでベンチに座りぼんやりアナウンスを待っていると、彼がぼそっと口を開いた。 「あの草原はよかったよね。」 (Lucyみさおの逃亡日記モンゴル編:おわり) ■ご愛読ありがとうございました■ Lucyみさおの逃亡日記モンゴル編をご愛読くださった皆様、今まで約10ヶ月にわたる長い連載をここまでご愛読いただき本当にどうもありがとうございました。 途中私が間質性肺炎で休筆、最終話は多忙で発行が遅れるなど、色々ご迷惑をおかけしたにもかかわらず、こうして読んでくださったこと、心よりお礼申し上げます。 モンゴルは、なんていうのかしら。 たかが一週間しか行ってないのに、鬼の首とったようなことをいうと怒られるのを承知であえて言わせていただくと 「私にとって、とても居心地のいい」いい国でした。 モンゴルに行ったらぜひ草原にお出かけ下さい。 普段忙しい人はぜひ! きっと心を取り戻せると思います。 長らくのご愛読、ありがとうございました。 ■次はどこだ?■ 現在次の逃亡を計画中です。 まだはっきりとは決まらないし、突然行先が変ることもありうるのですが、今のところ、問題なければ、恐らく次は、2005年8月初旬からカラコルムハイウエイ横断になると思います。 成田から北京経由でウルムチに入り、そこからエアラインか南疆鉄道でカシュガルに行きます。できればカシュガルでは少し余裕を持ちたい。民族の十字路でのパフォーマンスはぜひやってみたいところです。その後、バスでタクシュルカンを経由し、フンジャラブ峠を越え、パキスタンに入ります。 パキスタン入りした後は、フンザで1〜2泊ほどした後、ギルギットからエアラインでラワールピンディー(イスラマバード)へ。(ただ、フライトキャンセルが多いので、下手すりゃバスです)。フライトがスムーズに行き、もしも時間と政治的状況が許せばペシャワルへ行きたい。アフガン国境50kmのこの街は写真で見るだけでも独特の空気がたまらない。 帰りはイスラマバードから成田へ。 今回の行程は、お天気に左右されるので、帰路はオープンです。 雨季のため、がけ崩れでバスが通れないことは多々あるので、その時はその時と腹をくくっています。 私は間質性肺炎で入院したとき、医師からその種類を告げられなかったため(この病気には治るものと治らないのとがある)退院寸前まで、この病気の平均寿命である5〜10年程度しか生きられないと思っていました。ただ、死にたくないとか、悲しいとか、そんなことは全く思わずこんな場所で管つけて、やりたいこともやらんと死んでたまるか、とだけ思った。 幸い私の病気は一生のお付き合いではあるけれど、完全回復もありえるとわかった後も、この気持ちは変りませんでした。 4月にステロイドの投薬を打ち切り、時折少し風邪をひいたりするたびにリトルリバウンド状態(^0^)に苦しみながらも、私の身体は随分と回復しています。この間まで小走りに走ることや、階段を二階以上上がったりすると息が苦しくてどうなるんやろうと思うような状態でしたが、最近はこのへんもだいぶ回復してきた。 カラコルムハイウェイ横断は高地の旅です。 でも、きっと大丈夫。 次の旅から無事帰国したら、また逃亡日記を発行します。 その時のアナウンスのために、あと一回だけ、この日記を発行させていただきます。 どうぞお楽しみに! ←VOL 28:いつも誰かと へ戻る | バックナンバーINDEX |