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■Lucyみさおの逃亡日記タイ・バンコック編 NO:24 争いの後■
廃墟にはいつも争いの後が刻まれている。この遺跡には、つい今しがた焼かれたかのような真っ黒な焦げが建築物にも、そして、石仏にもある。頭部を刎ねられ、残された黒焦げの胴体だけが残る石仏。刎ねられた頭部だけを木の根に埋め込まれた石仏。

アユタヤ。タイの長い歴史の中で、最も栄えた王国。1351年、ロッブリーの太守ウートーン候(ラーマティボディ王)によって建国されたこの国は、諸外国の優れた文化を貪欲に吸収し、自国の文化として成熟させることによって、素晴らしい繁栄を遂げた。

しかし、繁栄は、隣国の敵対意識を刺激する。

1569年、ビルマ軍による第一回目の侵略の後、何度も侵略、攻撃を受け、やがて1767年、14ヶ月にわたる包囲攻撃の後、たった1日でアユタヤは破壊、416年の歴史に幕を閉じた。遺跡の焦げ後は、そのときの「たった一日の破壊」がどれほど激しかったかを物語る。

インドのクタブミナルでは、モスリムによって破壊された建築物すべてから仏像がえぐり取られていた。これは偶像崇拝を許さないモスリムの宗教的理由による。

アユタヤのこの遺跡はじっくり見れば見るほど生々しい。戦いの「悲惨さ」ではなく「残虐さ」が時折背中を凍らせる。
争いの中、同じ仏教徒によって破壊された首の無い仏像は、アユタヤの青い空の下、今も戦いの匂いを残す。

NO:25 長かった一日
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